日本語教員というのが、意外と海外で需要があります。但し、そこに言語が出来る事が最低条件になっていることが多いです。それは覚悟しておくべきですし、また給料的にも際立って高いわけではないです。ある意味では遣り甲斐の仕事であるといえます。高い報酬が目当てでやるようなことではないです。国家資格というわけではないですが、資格がいくつかあります。それを取得することによって、採用され易くなりますから、まずはそれを目指すと良いです。但し、それでもキャリアを積むのがかなり難しい職であるのは確かです。独立することができるわけでもないですが、日本で採用されたとしても現地での給料になります。余程のバイリンガルでもない限りは、教員としての給料は高くないです。ビジネススクールの講師兼、ともなれば別ですが、純粋に日本語の教員というのでは高い給料にはならないです。

日本語教員って必要なの?

日本人にとって、当たり前である日本語を話すこと、書くこと。しかし、外国人にとっては当たり前ではありません。まして、これを人に教えるとなると、話はまったく別です。意外と簡単なことでも、わからないことが多いもの。たとえば、友人と会い、食事に行こうか、軽くお茶でもしようかと尋ねたい時、「ごはん、食べましたか。」と聞きます。これを、日本語が、まだよくわからないアメリカ人に聞いたらどうでしょう。日本人「ごはん、食べたましたか。」アメリカ人「わたしのことですか。ごはんは食べていません。ラーメン、食べました。」日本人にとっては、食事を済ませたかどうかを聞いているとわかることでも、日本語を知らない外国人にとっては、ごはん=(イコール)食事という意味で、日本人が会話しているとは思わないでしょう。さらに厳密に言うと、英語ではきちんと主語が入るのに、主語がない会話を投げかけられ、外国人は誰のことを話しているのかわからなくなるかもしれません。日本語教員は、日本人がふだん気がつかないで使っている言葉を、日本語と外国語の違いをふまえた上で、理論的に教えることが求められます。現在、海外から来る観光客は増加中で、日本の文化に興味を持つ外国人が増えています。今後、日本語教員の需要は増えていくでしょう。

日本語教員に必要な知識について。

私達が日本語を無意識に話せるようなスキルを手続き的知識といいます。反対に、英語など母語以外の言語を習得するときは、内容を記述できるような宣言的知識が必要です。日本人の日本語教員は、当然ながら日本語の手続き的知識を持っていますが、教えるためには宣言的知識も習得しなければなりません。例えば、私たちは「食べて」、「持って」など日本語教育で言う「て形」を日常的に、文法などを全く気にせずに手続き的知識のもと使っています。しかし、外国人の学習者には、宣言的知識を教えなくてはいけません。て形を教えるためには、まず動詞の活用形が頭に入っている必要があります。これは日本人が学校で教わる国文法とは違い、動詞を1グループ、2グループ、3グループに分けた文法です。日本語教育において、このグループ分けは覚えなくてはならない基礎です。日本語教員は、このグループ分けに則って、て形やその他の活用形について学習者に教授します。